その結果、 セントルイス・カージナルス ( ナショナルリーグ )が テキサス・レンジャーズ ( アメリカンリーグ )を4勝3敗で下し、5年ぶり11回目の優勝を果たした。. 33 ダニエル・デスカルソ 54 ハイメ・ガルシア Daily News writers divided about World Series, World Series Prospectus: The Midwest Showdown, World Series preview: Cardinals vs. Rangers, Your Official HardballTalk World Series Preview, 2011 World Series Preview - Texas Rangers vs. St. Louis Cardinals, MLB ‘11 The Show predicts the World Series winner, Rangers Best Cards to Capture First Title, Rangers Are Favored Over Cardinals to Win First World Series Championship, Betting odds have Rangers as solid World Series favorites, William Hill Punter Nets £50k On Baseball Bet Ahead Of World Series, First lady: 'Thank you for your service' / Michelle Obama, Jill Biden honor veterans prior to Game 1, Molina's arm shuts down Texas' running game, Sherrington: Rangers again find that World Series doesn't favor their style, Rangers offence cold as St. Louis weather, Craig is a name to remember after Game 1 heroics, Red Sox’s David Ortiz Chosen 2011 Winner Of MLB’s Roberto Clemente Award, Big Papi named 2011 Clemente Award winner, Garcia's sensational start can't save Cards / Club has lost seven games this year after lefty exited with lead, Hamilton Is Playing the Postseason in Pain, World Series Game 2 starters try to keep ball in park, In a pinch, St. Louis Cardinals' Allen Craig delivers in déjà vu scenario against Texas Rangers, Lewis lets loose with another October gem / Rangers able to rally after team's first quality start of playoffs, Ogando gets bitter taste of deja vu vs. Craig, Neftali Feliz's Ninth Inning Last Night Was Freaky And Amazing, La Russa loses his magic touch as Rangers even tense World Series, Pujols miscue hurts Cardinals in messy ninth, Pujols, Cards: Mixup led to postgame absence / Slugger among four to leave park without addressing media, Battered, cooked at home: Rangers lose upper hand in Series, Runs aplenty expected in Lone Star State / Offenses should heat up as World Series moves to Texas, World Series Game 3 Preview: History sides with winner in Texas, Hitless Pujols expects to be a factor in World Series, Cards set mark by scoring first in 10 straight / Craig ties mark with RBIs in first three plate appearances, Missed call sets stage for big fourth frame / Ump says he got Holliday play wrong; Cards go on to score four, 2011 World Series Game 3: Albert Pujols hits three home runs to push Cardinals past Rangers, Wrong Place, Wrong Timing for Napoli in Game 3, World Series Prospectus: Once, Twice, Three Times a Long Ball, Albert Pujols belts three homers as the Cardinals let loose a power show in 16-7 triumph over Texas in Game 3 of World Series, Pujols receives congratulatory call from Reggie, Berkman, Hamilton assist with NFL coin flip, Cowboys dismantle banged-up Rams as DeMarco Murray shines, What a difference a year makes: Derek Holland erases memories of ugly 2010 showing with Game 4 gem. 日本野球機構(npb)オフィシャルサイト。プロ野球12球団の試合日程・結果や予告先発、ドラフト会議をはじめ、事業・振興に関する情報を掲載。また、オールスター・ゲームや日本シリーズなど主催試合のチケット情報もご覧いただけます。 25 マーク・マグワイア(打撃) 10 トニー・ラルーサ 34 マーク・ゼプチンスキー 41 ミッチェル・ボッグス 12 ランス・バークマン 日程. "(「また明日の夜お会いしましょう!」)と口にした。元々このせりふは1991年のシリーズにおいて、この日のカージナルスと同じように2勝3敗と追い詰められていたミネソタ・ツインズが、第6戦をカービー・パケットのサヨナラ本塁打で制したときに、バックの父で同じく実況アナウンサーだったジャックが発していたものだった[203]。当のフリースがベースを一周しながら思い起こしていたのは、2004年のナショナルリーグ優勝決定戦・第6戦でカージナルスのジム・エドモンズが放ったサヨナラ本塁打だったという[200]。フリースは地元セントルイスの郊外で育ち、2006年のドラフトでサンディエゴ・パドレスから指名されてプロ入り後、2007年12月にエドモンズとのトレードでカージナルスに入団していた。その彼がこの日、9回の同点三塁打でチームを敗退の窮地から救い、11回のサヨナラ本塁打でチームに勝利をもたらした。プホルスは「デビッド(フリース)よりもこの試合の主役にふさわしいやつはいない。故郷での試合だし高校の同級生や家族もたぶん球場に来てたんだろう、その目の前であんなことをやってのけるなんてすごいね」と褒め称えた[195]。フリースは「うちはうちらしく諦めずに最後まで戦い続けた。こんな試合のなかにいられたなんて信じられない」と試合の感想を述べた[184]。, ワールドシリーズにおいて、2勝3敗と後のないチームが第6戦に勝利してシリーズを最終戦へもつれ込ませたのは、今回が36度目である[204]。そのなかでも史上3度目となる第6戦の勝ち方を、この日のカージナルスはふたつ達成している。まずは延長戦でのサヨナラ本塁打による勝利で、これは1975年のシリーズでカールトン・フィスクが打ったボストン・レッドソックスと、前述した1991年のツインズに次ぐ[197]。もうひとつは、8回以降に一度はリードを許しながらも追いついて延長戦の末に逆転勝ちというもので、こちらは過去に1975年のレッドソックスと1986年シリーズのニューヨーク・メッツが成し遂げていた[205]。それに加えて、相手に5度もリードを許しながら全て追いつくか逆転したというのと、8回から延長11回までの4イニング連続で得点を挙げたというのは、第6戦に限らずシリーズ史上初のことであった[206]。ただ、カージナルスはあくまでもまだ3勝したにすぎず、相手のレンジャーズもあと1勝すれば優勝、という状況は依然として変わらない。過去の例をみても、1986年のメッツや1991年のツインズが劇的勝利の勢いそのままに優勝をつかんだ一方で、1975年のレッドソックスは翌日の第7戦に敗れて優勝を逃している[197]。ましてやレンジャーズは、8月23日から25日にかけての3連敗を最後にここまで2か月間、46試合で連敗を一度も喫していないのである[204]。バークマンは、この日のサヨナラ勝利が「伝説」になるか「シーズンの単なるいい思い出」になるかは第7戦の結果次第で決まる、とした[207]。, 延長11回のサヨナラゲームから一夜明けた28日、ワールドシリーズは9年ぶりに、この試合に勝ったほうが優勝という第7戦の日を迎えた。試合前にカージナルスはロースターの入れ替えを行い、前日の試合で負傷交代したマット・ホリデイに代えてアドロン・チェンバースを登録した。ホリデイは右手首の炎症がひどく夜も眠れなかったといい、第7戦をダグアウトから見守ることについて「楽しみにしてたのにもどかしい。チームスポーツだからしょうがないけど」と述べた[209]。もうひとつカージナルスが決断を迫られたのが、先発投手である。この日の先発投手は、カージナルスはクリス・カーペンター、レンジャーズはマット・ハリソン。結局、カージナルスは26日の雨天順延を利用してエースを中3日で投入し、レンジャーズは先発ローテーションを崩さず順番通りに貫いた。この先発投手の指名には、状況に応じて細かな選手起用を行うトニー・ラルーサに対し、失敗を恐れず信頼した選手に任せるロン・ワシントンという、両監督の采配の違いが端的に現れていた[210]。カーペンター先発を最終的にラルーサが決めたのは当日午前、投手コーチのデーブ・ダンカンと話し合い、カーペンターが身体的に登板可能な状態にあると確認してからだった[209]。, カーペンターはラルーサとダンカンのお墨付きを得て登板したが、実際に試合で投げてみると体の感覚が普段と異なり、制球が思うようにいかない[211]。まず先頭打者イアン・キンズラーに、高めへのシンカーを左前打される。この走者は次打者エルビス・アンドラスの打席の初球、捕手のヤディアー・モリーナが投球後の牽制でアウトにし、カーペンターは「あれは大きかった。あれがあるからヤディはすごい」と称賛した[212]。それでもカーペンターの乱調は続き、アンドラスに四球を与えて再び走者を背負うと、3番ジョシュ・ハミルトンと4番マイケル・ヤングに連続適時二塁打を浴び、試合開始から12球で2点を先制された。カーペンターは後続を断ってこのイニングを終わらせたが、1番キンズラーから4打者連続で初球ストライクがとれず、イニング18球中ストライクは10球と、制球難は数字にも表れている[213]。しかしその裏、カージナルス打線もすぐさま反撃に出る。ハリソンが二死から3番アルバート・プホルスと4番ランス・バークマンを続けて歩かせ、一・二塁と走者が得点圏に進んだ。ここで5番デビッド・フリースが、フルカウントからの7球目に来た内角へのツーシームを左中間へ運び、同点の2点二塁打にした。フリースは前日の9回裏から3打席連続で同点か勝ち越しの安打を放っており、これは同僚アレン・クレイグに次いで今シリーズ2人目、シリーズ史上でも2人目の記録となる[130]。フリースは睡眠時間が1時間足らずという状態でこの試合に臨んでいたが、この1年間ずっと取り組んできたという内角球を左中間に打ち返す打撃をこの場面で実践してみせ、打撃コーチのマーク・マグワイアに「練習の成果が出たな」と言わしめた[214]。ハリソンは先制点をもらった直後に失点し「あれが彼らに自信を取り戻させちゃったんだと思う」と反省した[215]。, 2回表もカーペンターは、先頭打者マイク・ナポリの左前打をきっかけに二死一・三塁の危機を招くが、最後は2番アンドラスを投ゴロに仕留めて無失点で乗り切った。2イニングとも得点圏に走者を背負っての投球を強いられ、計37球中ストライクは半分以下の17球と、数字上は制球がさらに悪化している[213]。カーペンターは「これじゃどこまで投げさせてもらえるかわからない。だからとにかく目の前の打者をひとりずつアウトにしていこう」と気持ちを切り替えた[216]。また、投球の組み立ても変えた。最初の2イニング37球はほぼシンカーとカッターで占められ、カーブは1球しか投げていなかった[213]。このカーブを増やすようにしたところ、投球が立ち直りをみせた[211]。3回表のレンジャーズの攻撃は、3番ハミルトンから始まり打線の中軸にまわる。しかしカーペンターは、二死から5番エイドリアン・ベルトレに死球をぶつけただけで、あとは抑えた。その裏、カージナルス打線が1点を勝ち越す。2番クレイグが1ボール2ストライクから粘ってフルカウントに持ち込み、7球目のフォーシームが高く浮いたのを逃さずに捉えると、右中間の自軍ブルペンに飛び込むソロ本塁打になった。クレイグは「シリーズ中は緩急をつけた内角攻めが続いたけど、プレート上の球を打つよう心がけていた。あのホームランは、運良くちょっと外目のところに浮いた球が来たからね」と振り返った[217]。クレイグは第6戦の途中から、そしてこの日とホリデイの代役として出場し、いずれも本塁打を放っている。また彼はこれで、ルー・ゲーリッグ(1928年)とジーン・テナス(1972年)に次いで史上3人目の、1シリーズ中に4試合で先制または勝ち越しの一打を記録した打者となった[218]。, カーペンターは4回表、先頭の7番ナポリをカーブ3球だけで三振に抑えるなど、三者凡退に。5回表は一死二塁から3番ハミルトンと4番ヤングを打ち取って、1点のリードを守る。試合が進むにつれ、球速も上昇していった[216]。カーペンターの投球について、ベルトレは「相手打者のバランスをどう崩せばいいかをわかっている」、ハミルトンは「力で圧倒する感じではないが、球種の織り交ぜ方が巧かった」と述べている[219]。一方のハリソンは、4回裏にも二死二・三塁と攻め込まれた。投手のカーペンターの打順でカージナルスが代打を出さなかったこともあり[213]、結果的に無失点で凌いだものの、ハリソンは結局この回限りで降板した。ところが5回裏、代わって登板したスコット・フェルドマンが2四死球で走者を溜め、二死二・三塁と一塁が空いたので5番フリースを敬遠して満塁策を採ったところ、次打者Y・モリーナにも押し出しの四球を与える。さらにC.J.ウィルソンがマウンドを引き継ぐも、初球から7番ラファエル・ファーカルに死球を当てて再び押し出し。こうしてカージナルスに無安打で2点が加わり、5-2と点差が広がった。レンジャーズには、大舞台で頼りになるカーペンターのようなエースがいないということが、この場面で顕わになった[219]。レンジャーズは3点を追う6回表、一死無走者から6番ネルソン・クルーズが本塁打性の当たりを放った。打球は左中間フェンスを越えそうだったが、左翼手クレイグがフェンス際でジャンプしながら打球をもぎ捕ったため、3点目とはならなかった。このプレイについてクレイグは、高校時代のバスケットボール経験が生きたかと問われ「そう訊かれると思ったよ。けどあの頃より30lb(約13.6kg)は重くなってるしなぁ、とにかく捕れてよかった」と答えた[217]。, レンジャーズはなおも食い下がり、7回表は先頭の8番デビッド・マーフィーがエンタイトル二塁打で出塁する。カージナルスはここで継投に入ることを決めた。カーペンターが救援投手陣に後を託してダグアウトに下がる際、満員の観衆がスタンディングオベーションで彼の力投を称えた[220]。無死二塁の場面は、アーサー・ローズが代打の代打ヨービット・トレアルバを、オクタビオ・ドーテルが1番キンズラーと2番アンドラスを、それぞれアウトにして切り抜けた。その裏、打線はレンジャーズ4番手のマイク・アダムスから安打と四球で一死一・二塁の場面を作り、6番Y・モリーナの中前打で6点目を奪った。このシリーズにおけるレンジャーズ投手陣の与四球数は最終的に、1997年のシリーズでフロリダ・マーリンズが記録した40を超え、歴代最多の41にのぼった[221]。14年前のマーリンズはそれでも優勝を果たしたが、レンジャーズはビハインドのまま8回表もランス・リンの前に三者凡退に抑えられる。9回表、カージナルスのマウンドには前日に続き、抑えのジェイソン・モットが立った。彼は、自身がそれまでに経験がないというほどの地元ファンの大声援のなかで[193]、6番クルーズを中飛に、7番ナポリを三ゴロに打ち取る。そして8番マーフィーが2球目、97mph(約156.1km/h)のフォーシームを左方向に打ち上げ、左翼手クレイグがこれを捕球した瞬間、カージナルスの5年ぶり11度目のシリーズ優勝が決まった。, モットは打球の行方を見守り、クレイグが捕球したのを確認すると、前を向き直して両腕を広げながら雄叫びをあげた。その視線の先にいた捕手のY・モリーナは、本塁付近でいったん膝をつき両手で小さくガッツポーズしたあと、すぐにモットのもとへ駆け寄って抱きついた。同時にフィールドやダグアウトから集まった選手たちも、覆いかぶさるようにモットに飛びついた。場内に紙吹雪が舞い花火も打ち上げられるなか、彼らは抱き合ったり握手したりして優勝の喜びを分かち合った。やがてフィールドにステージが設けられ、表彰式が始まった。MLB機構コミッショナーのバド・セリグから球団筆頭オーナーのビル・デウィット・ジュニアにコミッショナーズ・トロフィーが授与され、続いて進行役のクリス・ローズによるインタビューが行われた。マイクを向けられたラルーサは「今回のシリーズを言い表すなら『信じられない、すごい、素晴らしい』。これに尽きる」と語った[222]。シリーズMVPには、前日のサヨナラ本塁打やこの日の同点二塁打などで勝負強さを発揮したフリースが選ばれた[214]。フリースの活躍についてセリグは「選手がトレードで故郷のチームに入団しヒーローになる、なんて脚本を書いてみろ。そんなものを出したところで、顔面に投げ返されるのがオチだ」と述べた[223]。, レンジャーズのクラブハウスは失意に沈んでいた。例年のシリーズならば、優勝を逃したチームも試合後すぐにクラブハウスをメディアに開放するが、この日のレンジャーズがクラブハウスを開放したのは試合後20分は経ってからだった[224]。シーズンを終えた選手たちにはワシントンがねぎらいの言葉をかけていたが、彼自身も「何かひとつ振り返るなら、勝利が手の届くところまで来ていたということ。あと1球が決まっていれば、あと1アウトがとれていれば、結果は違っていただろうな」と吐露した[225]。翻って、歓喜に沸くカージナルスのクラブハウスではシャンパンファイトが始まった。彼らにとってこのシャンパンファイトは、この年4度目にして初めて本拠地ブッシュ・スタジアムで行うものだった。これまでは、ワイルドカード獲得がテキサス州ヒューストン、地区シリーズ突破がペンシルベニア州フィラデルフィア、リーグ優勝がウィスコンシン州ミルウォーキー、と全て敵地で決定していた。シリーズ3敗目を喫した第5戦終了後、ラルーサはそのことに触れながら選手たちを鼓舞しており[226]、彼らはそれに応え地元で連勝して逆転優勝を果たした。この日、ミズーリ州セントルイスの街は優勝を祝福する市民で夜遅くまでごった返し、5年前の前回優勝時とは比べ物にならないほど大きく盛り上がっていた[46]。, シーズン終了後のカージナルスには、ふたつの大きな課題が待ち受けていた。ひとつはトニー・ラルーサの後任監督探し、もうひとつは主砲アルバート・プホルスとのFA交渉である。GMのジョン・モゼリアクが第7戦終了直後、選手のもとへ向かうため球場内を移動しながら考えていたことが、このふたつにどう対処しようかということだったという[188]。, その後、カージナルスは新監督に球団OBのマイク・マシーニーを迎え入れた。プホルスとの契約交渉は合意に至らず、彼はロサンゼルス・エンゼルスへの移籍を選んだ。1996年からチームの指揮を執っていたラルーサが勇退し、2001年のデビュー以来中心選手として活躍してきたプホルスも退団と、チームの象徴的存在だったふたりが相次いて去ったことで、球団史における一時代に幕が下ろされる形となった[227]。, シリーズが終わってすぐ、カージナルスの優勝記念パレードが2日後の10月30日に行われることが発表された。コースは旧ユニオン駅舎前を午後4時に出発してマーケット通りを東へ進み、7番通りと交わるところで右折して本拠地球場ブッシュ・スタジアムへ向かうものとなった[228]。パレードの終着点ブッシュ・スタジアムでは記念式典が行われることになり、その入場券は第7戦が終了してから90分で完売している[229]。その日はアメリカンフットボールのNFLでも、セントルイス・ラムズがブッシュ・スタジアムの近くにある本拠地エドワード・ジョーンズ・ドームで正午から試合を開催することになっていた。ラムズは同じ街のチームの優勝を祝うため、シリーズMVPを受賞したデビッド・フリースの背番号23にちなんで当日券の値段を23ドルに設定し[230]、さらにカージナルスを試合に招待した。, パレード当日、カージナルス一行はラムズの招待に応じてエドワード・ジョーンズ・ドームを訪れ、プライベートスイートでラムズとニューオーリンズ・セインツとの試合を観戦した[231]。試合前にはクリス・カーペンターがラムズRBのスティーブン・ジャクソンのユニフォームを着てフィールドに登場し、先攻チームを決めるコイントスに名誉キャプテンとして立ち会った[231]。続いて試合開始後、第1クォーター途中には場内にカージナルスの紹介が行われ、スキップ・シューマッカーとラファエル・ファーカルがコミッショナーズ・トロフィーを掲げると、5万7179人の観客が入った場内はスタンディングオベーションに包まれた[232]。ラムズは2011年シーズンが開幕して6試合でまだ白星がなかったが、この日の試合ではここまで5勝2敗と好調のセインツを31-21で破る番狂わせを演じ、シーズン初勝利を挙げた[233]。試合後、セインツのヘッドコーチのショーン・ペイトンが「この街が野球の優勝で大盛り上がりなのは認めるけど、それとこの試合とは関係ないと思うね」と語る一方[232]、ラムズのヘッドコーチのスティーブ・スパヌオーロは「トニー(ラルーサ)をはじめカージナルスの皆が来てくれたことにとても感謝している。我々にとってそれがどれだけの意味を持つか、彼らに知ってもらいたかった」と述べている[233]。, この日のセントルイスは空が雲に覆われ風もあるなど天候には恵まれなかったが、ドームでNFLの試合が行われている傍らでは、パレード開始の数時間前から沿道で場所取りをするファンの姿もみられた[229]。パレードは予定通り午後4時に始まり、ラルーサ夫妻が乗り込んだワゴンをバドワイザー・クライズデールが引いて先頭を行き、続いて球団筆頭オーナーのビル・デウィット・ジュニア一家や選手たち、殿堂入りした球団OBらが一列となって進んでいった[234]。沿道はチームカラーの赤を身につけた数十万人のファンで埋め尽くされ、アルバート・プホルスやフリースなどには特に大きな声援が集まった[229]。パレードは40分ほどで満員の観客が待つブッシュ・スタジアムに着き、フィールドの二塁付近に設けられたステージで記念式典が行われた[234]。ここでラルーサは、何度もあった敗退の危機を乗り越えて優勝を果たした選手たちを賞賛し、この優勝は50年後も称えられているであろう特別なものだと評した[235]。フリースは、シリーズ優勝というひとつの夢が叶ったのはファンのおかげだと感謝の言葉を述べた[236]。ひときわ大きな歓声を浴びたのがプホルスで、球団との契約最終年のシーズンを終えてFAとなる彼は、インタビュアーの「来年もまたこうやってお祝いをするために戻ってきてくれるか」という問いに「もちろんだろ」と答え、残留を希望するファンを喜ばせた[234]。, 式典が終わると、ラルーサから話があるということで、選手たちは球場内の一室に集められた。そこでラルーサは16年間務めてきたカージナルスの監督の座を退き、現場から引退する意向を明かした。彼自身はシーズン序盤の時点で既にこの年限りという選択肢も考えており、8月には引退を決断してGMのジョン・モゼリアクに伝えていたという[237]。ただ選手やコーチ陣はそのことを知らされておらず、シリーズを終えてパレードもやったその日になって初めて告げられることとなった。突然の引退表明に涙を流す選手もおり、そのときの雰囲気をカーペンターは「話といっても『今年はいい1年だったな』みたいなことだろう、とみんなが思ってた。ところが実際には辞めるということだったから、みんな油断していたところを殴られたような感じだった」と振り返っている[238]。選手たちへの報告を済ませたラルーサは、翌31日午前に記者会見を開き「何か特定の理由がひとつあったわけではなく、いろいろなものが積み重なって『ここらが潮時だ』と思った」と退任を世間に公表した[237]。ワールドシリーズで優勝したチームの監督がそのシーズンをもって引退するのは史上初のことだった[注 9][238]。, ラルーサの後任として、カージナルスは球団内外から候補6名を選出し、面接を実施した[239]。候補者は以下の通り。, このうち、マシーニーは捕手として2000年から2004年の5年間、マクユーイングはユーティリティーとして1998年・1999年の2年間、ラルーサ指揮下のカージナルスでプレイしたことがある。一方、フランコーナとサンドバーグのふたりは、これまでカージナルスに所属したことがない[239]。指導者経験の点では、メジャーでの監督経験があるのはフランコーナのみである[240]。他の候補者もほとんどがメジャーでのコーチ経験やマイナーリーグでの監督経験は持つが、マシーニーだけは選手引退後は常勤の指導者職に就いたことがなかった。そのためモゼリアクはニューヨーク・ヤンキース監督のジョー・ジラルディに、指導者未経験からいきなりメジャー監督に就任した先達としての助言を請うたという[241]。, 11月14日、カージナルスは新監督にマシーニーを起用すると発表した[240]。ラルーサはマシーニーについて「捕手というのは1球1球の決定にかかわってくるポジションだから、リーダー的役割を自然と担うことになるし、彼自身お手本のような真のリーダーだ。だが彼は声を出してチームを引っ張っていくタイプで、これは放っておいても勝手になれるものではない」と素質を高く評価した[241]。経験の少なさについて、ジョン・ジェイは「経験があろうとなかろうと、乗り越えなきゃならない壁ってのは出てくるものだよ」と話し、フリースは「一般的には成功するために必要だとされていることを、必要としない人間もいる。マシーニーはそういう男だとうちのチームが考えているのは間違いない」と述べた[242]。マシーニーの監督就任決定後、カージナルスはオケンドーを三塁コーチに留任させ、マロニーを一塁コーチに採用した[243]。, シリーズの閉幕により各球団で契約を満了した選手がFA登録され、11月3日から他球団との交渉が解禁される[244]。カージナルスからはエドウィン・ジャクソンやラファエル・ファーカルらもFAとなるが、やはり最大の注目は、MLB史上3例目となる総額2億ドル超えの大型契約が濃厚とみられていたアルバート・プホルスだった。1999年のドラフトでカージナルスから指名されてプロ入りし、それ以来カージナルス一筋だった彼にとって、FAとして他29球団とも自由に契約交渉ができるようになったのは今回が初めてである[245]。交渉解禁後、これだけの契約が可能なほどの予算を持つ球団がわずかななかで[注 10]、意外にもマイアミ・マーリンズが獲得に積極的な姿勢を見せた。マーリンズは新球場マーリンズ・パーク移転1年目のシーズンを控え、それまでの緊縮財政から一転して積極補強に打って出ていた。カージナルスも再契約へ向けて交渉を続けており、時が経つにつれて球界では、カージナルス残留かマーリンズ移籍のどちらかで決まりという空気が色濃くなっていく[246]。しかし、カージナルスは契約年数で、マーリンズはトレード拒否権の有無で、それぞれプホルス側が求める条件を満たすことができなかった[247]。そしてこのタイミングで、新たにロサンゼルス・エンゼルスが獲得に名乗りを上げた。球団オーナーのアルトゥーロ・モレノがプホルスに直接電話して話すことで彼の心をつかみ[248]、提示した条件も契約期間やトレード拒否権の付与などプホルス側の要求に応えたものだった[247]。, 12月8日、プホルスはエンゼルス入団で基本合意に達する。契約はMLB史上3番目の高額となる10年総額2億4000万ドルで、金額ではカージナルスが出したオファーを4000万ドルも上回っていた[249]。カージナルスは球団を代表するスター選手を失うことになり、オーナーのビル・デウィット・ジュニアは「プホルスをセントルイスにとどめておくことができず失望している」と声明を出した[250]。ただ、カージナルスがこれほどの契約を結んでいたら球団予算が逼迫するのは必至であり、チームは名を捨てて実をとったともいえる[251]。プホルスの穴を埋めるため、チームは新右翼手としてカルロス・ベルトランを獲得し、既にシーズン中に契約延長を済ませていたランス・バークマンを右翼からプホルスが抜けた一塁へ再コンバートした[252]。また、FAとなった他の選手のうち、遊撃手のファーカルとは再契約した[253]。他方で投手陣は、アダム・ウェインライトの復帰で先発ローテーションが5人揃うことからE・ジャクソンとの再契約は見送られ[254]、救援もオクタビオ・ドーテルがFA移籍するなど一部が入れ替わる[255]。新監督の下での連覇を目指すチームは、このように戦力を整えていった。ところがスプリングトレーニングでは、1年前のウェインライトに続き、今度はクリス・カーペンターが右肩の神経に炎症を起こして故障者リスト入り[256]。こうしてカージナルスは2年連続でローテーションの柱を欠いたまま2012年のシーズンに突入することとなった。, レンジャーズでは、野手陣でFAとなったのはエンディ・チャベスやマット・トレーナーなど控え選手に限られ、主力は全員残留。1試合平均得点がリーグ3位の5.28を記録した強力打線は次のシーズンも変わらぬ顔ぶれとなった。投手陣では先発のC.J.ウィルソンをはじめ、救援のダレン・オリバーやマイク・ゴンザレスなど左腕が揃ってFAに。特にC・ウィルソンは、このオフにFAとなった投手のなかでもトップクラスと見做されていた[257]。しかしチームは、1年前にクリフ・リーがFAになったときとは異なり、このときはC・ウィルソンを積極的に引き止めようとはしなかった。C・ウィルソンは、レンジャーズからは春先に3年契約を提示されたもののそれっきりで、オフになっても正式なオファーはなかったと主張している[258]。その代わりにチームが採った補強策は、ジョー・ネイサンを獲得して新たな抑え投手とし、これに伴ってネフタリ・フェリスを抑えから先発に転向させるというものだった[259]。C・ウィルソンは結局、レンジャーズと同地区のロサンゼルス・エンゼルスへ5年契約で移籍する[260]。エンゼルスについては、C・ウィルソンと同じ日にアルバート・プホルスとも契約合意が報じられており、投打の大物FAを一挙に獲得したエンゼルスの動きは球界に大きな衝撃を与えた[246]。, 同地区のライバル球団が大型補強を行ったのに対し、レンジャーズの投手陣強化もフェリスの先発転向だけにとどまらない。続いて、日本プロ野球(NPB)からダルビッシュ有の獲得に乗り出す。ダルビッシュは、NPBがセ・パの2リーグ制になってからは史上初となる5年連続防御率1点台を達成し、所属する北海道日本ハムファイターズからポスティングにかけられていた[261]。元々レンジャーズは早い段階から獲得に向けての準備を進めており、GMのジョン・ダニエルズ自らシーズン中の6月に日本を訪れてダルビッシュの投球を視察したり[262]、NPB経験者のコルビー・ルイスや建山義紀を通じて日本球界への理解に努めたりしていた[263]。こうした調査の末にチームはダルビッシュを高く評価し、実際にポスティングが公示されるとトロント・ブルージェイズら他球団を抑え、30日間の独占交渉権を落札した[264]。そして交渉の末、期限切れ目前の2012年1月18日に彼と6年契約を締結することで合意に至った[265]。チームが彼の獲得に費やした資金は、交渉権落札費用と年俸総額で合わせて1億ドル以上と、MLBでまだ1球も投げていない投手への投資としては異例の大金だった[266]。入団会見でダルビッシュは、レンジャーズがサヨナラ負けを喫したワールドシリーズ第6戦について「去年の僕だったら、あそこにいてホームランを打たれて負けていたと思う。でも今年はしっかりやれると思う」と語り、自信を覗かせている[267]。, 補強の結果、先発ローテーションはルイスを筆頭にデレク・ホランドとマット・ハリソンの両左腕、そしてダルビッシュとフェリスの5人で構成されることになった。これに伴い、前年のレギュラーシーズンでは先発を務めていたアレクシー・オガンドは中継ぎに戻された[268]。その中継ぎでは、オリバーがブルージェイズへ移籍し[269]、M・ゴンザレスも条件面で折り合いがつかず退団した[270]。両投手がいなくなったことによって、オガンドやマイク・アダムスら右腕が豊富な一方で左腕は手薄という偏った陣容となった。スプリングトレーニングを経て25人ロースターに入ったのは新人のロビー・ロスひとりだけと[271]、救援左腕の少なさには不安を抱えてレンジャーズは2012年のシーズン開幕を迎えた。, シリーズ終了直後から、MLB公式サイト "MLB.com" ではカージナルス優勝記念グッズの販売が始まった。しかし商品リストのなかに、敗れたレンジャーズの優勝記念グッズが数点紛れ込むというミスがあった[272]。このようなお蔵入りとなるグッズは、キリスト教福音主義系の人道支援団体 "ワールド・ビジョン" に寄付され、アフリカなどの開発途上国へ渡ることになっている[273]。カージナルス優勝記念グッズのうち、シリーズの模様を収めた公式記録DVDは、地元ミズーリ州セントルイス出身で俳優のジョン・ハムがナレーターを務めたハイライト版(ASIN B005CXOGB4)と、全試合のノーカット映像を収録した8枚組のコレクターズ・エディション(ASIN B005CXOGAU)の2種類が発売されることになった[274]。発売当日の11月22日にはセントルイス市内のピーボディ・オペラハウスで試写会が行われ、シリーズMVPのデビッド・フリースやセントルイス市長のフランシス・G・スレイらが出席した[275]。また翌年4月にはこれとは別に、第6戦のみを収録したDVDとBlu-ray Disc(ASIN B0071BY2NC)も "Baseball's Greatest Games" シリーズのひとつとして発売された[276]。, MLB機構と選手会の合意により、2012年からポストシーズンの方式が変更されることが決まった。1995年から17年間続いた従来の方式では、リーグごとに3地区それぞれの優勝球団とそれ以外で全地区を通して最も勝率が高いワイルドカード1球団の、計4チームずつが地区シリーズに進出していた。2012年から新たに導入される方式ではワイルドカードの枠がひとつ増えて2になり、その2球団が1試合の直接対決 "ワイルドカードゲーム" を戦って、勝った球団のみが地区シリーズへ進出する。新方式ではワイルドカード球団はたった1試合で敗退する可能性があるうえに、その1試合にエース投手をつぎ込んで勝ったとしても、地区シリーズではエースがシリーズ後半まで投げられない状況で地区優勝球団と対戦しなければならないなど、事実上の大きなハンデが課される[277]。2011年のポストシーズンはワイルドカード球団のカージナルスが優勝して幕を閉じたが、2012年以降はこのようなことが起こりにくくなると期待される[注 11]。またカージナルスは、ポストシーズン8チーム制の下では最後の優勝チームとなった。, 試合前のアメリカ合衆国国歌『星条旗』独唱と始球式、およびセブンス・イニング・ストレッチにおける『ゴッド・ブレス・アメリカ』独唱を行った人物は、それぞれ以下の通り。, ワールドシリーズ優勝回数が30球団中2番目に多いカージナルスは、本拠地ブッシュ・スタジアムでの4試合全てで、過去のシリーズ制覇に貢献したOB・選手を始球式の投手役に起用した。第1戦で始球式を行った3人はチームが過去にシリーズ優勝を決めた瞬間にマウンドに立っていた投手で、B・ギブソンは1964年と1967年の2度とも最終戦で完投勝利を挙げ、スーターは1982年のシリーズで、ウェインライトは2006年のシリーズで、それぞれ優勝決定試合でセーブを記録した。第2戦に登場したブロックとショーエンディーンストは、1964年と1967年のシリーズでブロックが選手として、ショーエンディーンストがコーチ・監督として、チームを優勝に導いた。第6戦のエクスタインは2006年のシリーズMVPを受賞、第7戦のフォーシュは1982年のシリーズで2試合に先発登板している。この始球式の時点でフォーシュは胸部に動脈瘤を患っており、それから6日後の11月3日にフロリダ州タンパ近郊の自宅で死去した[299]。, これに対し、シリーズでの優勝経験がないレンジャーズは、本拠地レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンでの3試合の始球式で、投手役に球団の選手だった人物を起用しなかった。第3戦のノヴィツキーはバスケットボールのNBAでダラス・マーベリックスを2011年のファイナル優勝に、第5戦のストーバックはアメリカンフットボールのNFLでダラス・カウボーイズを1972年のスーパーボウル優勝に、それぞれ導いてその優勝決定戦でMVPを受賞した人物であり、この両チームは本拠地をレンジャーズと同じテキサス州ダラス・フォートワース複合都市圏に置いている。レンジャーズと直接関係があるのは第4戦に登場したブッシュで、彼は第43代アメリカ合衆国大統領に就任する前に球団の共同オーナーを務めていた。ただこれらの始球式で捕手役を務めたのは、第3戦がマイケル・ヤング[300]、第4戦がノーラン・ライアン[301]、第5戦がケニー・ロジャース[302]、といずれもレンジャーズの選手・OBだった。, 第1戦と第7戦でそれぞれ国歌独唱を行ったマクリーリーとドートリーは、このワールドシリーズをテレビ中継したFOXのリアリティ番組『アメリカン・アイドル』の出身で、マクリーリーはシーズン10(2011年放送)で優勝、ドートリーはシーズン5(2006年放送)で4位だった[303]。また、第4戦で国歌独唱したデシャネルは、FOXでこの年の9月から始まったシチュエーション・コメディ『New Girl / ダサかわ女子と三銃士』に主演している。このうちマクリーリーの独唱は、歌い始めからしばらくマイクのスイッチが入っていなかったため途中でやり直しとなり、さらに歌詞の "O say does that star-spangled…" という部分を "No Jose does that…" と間違えたようにも聴こえるなどのトラブルがあった[304]。, アメリカ合衆国におけるテレビ中継はFOXが放送した。FOXによる中継は2000年以来12年連続、通算では14回目となった[305]。今回の中継は2006年7月にFOXがMLB機構との間に締結した、2007年から2013年までの7年間の放映契約に基づくものである[306]。FOXがスポンサー企業に販売したCM放送枠の価格は30秒あたり50万ドルと推定され[307]、シリーズが最終第7戦までもつれたこともあって、FOXが得た広告収入は総額2億6880万ドルにのぼったとみられる。これは5試合で終わった前年のシリーズと比べて7760万ドルの増収であり[308]、またこの年2月に開催されたアメリカンフットボールのNFL・第45回スーパーボウルでFOXが得た広告収入をも4000万ドルほど上回っている[309]。, 実況はジョー・バックが、解説はティム・マッカーバーが、フィールドリポートはケン・ローゼンタールが、それぞれ務めた。バックによる実況は14回目、マッカーバーによる解説は22回目であり、いずれもシリーズ史上最多である[305]。マッカーバーはシリーズに先立ち心臓に血管形成術を受けたため長距離移動を控えざるを得ず、同じくFOXが中継したアメリカンリーグ優勝決定戦では最初の2試合のみ出演を取りやめていたが、健康上の大きな問題はないとして復帰し[310]、今シリーズは全試合で解説を務め上げた。また試合前にはクリス・ローズ進行のコーナーがあり、ゲスト出演したシカゴ・ホワイトソックス捕手のA.J.ピアジンスキーと解説のエリック・キャロスが試合の見所などを語った。, シリーズを通しての、全米および出場両チームの本拠地都市圏における視聴率等は以下の通り。, 2年連続でシリーズに出場したレンジャーズの対戦相手の本拠地都市圏をテレビ受信世帯数で比較した場合、セントルイス(カージナルス)は前年のカリフォルニア州サンフランシスコ・ベイエリア(サンフランシスコ・ジャイアンツ)の半分の規模しかなく[311]、このことが全米視聴率にとってマイナス要因となる可能性があった。実際には、セントルイスやダラスだけでなくその近隣の都市圏でも視聴率が堅調だったこともあって、前年の試合数と同じ5試合を終えた時点での平均全米視聴率は8.3%とほぼ横ばいだった[314]。第6戦と第7戦はともに12%を超える高視聴率で、シリーズ全試合の平均視聴率は10.0%と、2009年(11.7%)以来2年ぶりに二桁となった。また第7戦の平均視聴者数は2540万人で、ワールドシリーズ中継としては2004年の第4戦(2880万人)以来となる多くの視聴者を獲得したことになる[316]。ただ、第7戦が行われた金曜日は他の曜日に比べて視聴率が取りにくいとされるため、もし雨天順延がなく第7戦が当初の予定通り木曜日に行われていれば、視聴率はもっと伸びていたとみられる。FOXの関係者は、第7戦が金曜日開催になったことで視聴率が1割ほど落ちたと述べている[317]。, 第4戦および第5戦の中継は、他局によるNFL中継と放送時間が重なっていた。第4戦の裏番組として、NBCは『サンデーナイトフットボール』(SNF)を放送した。SNFは2006年の放送開始以来、4年間はワールドシリーズがある週の中継を見合わせていた。しかし2010年に初めて同じ時間帯での放送を行い、視聴率でFOXのシリーズ中継を上回る数字を残した。シリーズ中継の視聴者数が裏番組のNFLレギュラーシーズン中継より少なかったのは、これが史上初のことであった[318]。それから1年後の今回は、FOXのシリーズ第4戦が9.2%だったのに対してNBCのSNFは8.2%にとどまり、前年とは逆の結果となった[注 12][319]。翌日も、FOXのシリーズ第5戦がESPN『マンデーナイトフットボール』よりも高い視聴率を記録している[320]。, 第6戦が当初予定の10月26日から順延された際、FOXは雨傘番組としてドラマ『glee/グリー』シーズン2の第5話と第12話を再放送した[注 13][321]。そして翌27日の第6戦にカージナルスが勝利したことで最終第7戦が28日に組まれると、FOXは同日に放送予定だったリアリティ番組 Kitchen Nightmares およびドラマ『FRINGE/フリンジ』シーズン4・第5話を翌週に延期した[322]。シリーズの順延はさらに、FOXだけでなくCBSの編成にも影響を及ぼした。同局はシリーズとの視聴率競争を避けるため、28日に放送予定だったドラマ A Gifted Man 第6話→『CSI:ニューヨーク』シーズン8・第6話→『ブルーブラッド 〜NYPD家族の絆〜』シーズン2・第6話の3作を翌週に延期し『A Gifted Man』パイロット版→『CSI:マイアミ』シーズン9・第2話→『CSI:ニューヨーク』シーズン7・第14話の再放送に切り替えた[注 13][323]。, この放送は2012年4月30日に発表された第33回スポーツ・エミー賞において、最優秀中継特別番組賞を受賞した[324]。MLB中継が同賞を受賞するのは、FOXによる2006年のポストシーズン中継が第28回で選ばれて以来、5年ぶりのことである。, カナダでは、ロジャーズ・コミュニケーションズ傘下のスポーツネットがテレビ中継を行った。同局はレギュラーシーズン中は、同じ企業グループに属するトロント・ブルージェイズの試合を放送していた。実況と解説はアメリカ合衆国外での英語放送用に製作された、ゲイリー・ソーンとリック・サトクリフによる音声を使用した[325]。, 今回のシリーズは、同局がこれまで中継してきたシリーズのなかでも多くの視聴者を獲得した。全試合の平均視聴者数は68万8000人で、2009年(74万9000人)と2004年(74万2000人)に次ぐ歴代3位となり、また第7戦の平均視聴者数はこれまで最多だった2004年の第4戦(91万3000人)をも上回る110万人を記録した[326]。, 日本での生中継の放送は、日本放送協会(NHK)の衛星放送チャンネル "BS1" で行われた。現地での試合開始時間である中部夏時間午後7時頃は、日本時間の翌日午前9時頃となる。実況の冨坂和男と解説の小早川毅彦が日本から現地へ渡り、全試合で球場に設けられたNHKの放送ブースから様子を伝えた。また第1戦・第2戦の2試合には、ナショナルリーグ優勝決定戦でカージナルスと対戦したミルウォーキー・ブルワーズの斎藤隆もゲスト解説として出演した[327]。斎藤は、シリーズに選手として出場するのではなく解説を務めることについて「こうやって見ると残念だし、悔しさが込み上げてくる」と述べた[328]。, 当初の日程では、第7戦は日本時間10月28日に開催される予定だった。しかし第6戦が悪天候により順延となったため以降の日程が1日ずれ、第7戦開催日は日本時間29日に変更となった。元々この日のBS1では、サッカーのイタリア一部リーグ "セリエA" におけるアタランタBCとインテルナツィオナーレ・ミラノとの対戦を録画放送する予定だったが、ワールドシリーズが第6戦を終えても決着がつかず第7戦に突入することになり、編成を変更する必要が生じた。その結果、ワールドシリーズ第7戦はハイビジョン画質のデジタル101チャンネルで生中継し、セリエAは同じ時間帯に臨時放送用・標準画質のデジタル102チャンネルで放送するマルチ編成が実施された[327]。, 複数のメディアが今回の対戦について、ワールドシリーズの歴史のなかでも上位に入る名勝負だと論じた。MLB.comのテレンス・ムーアは「1975年と1991年の2シリーズよりは下」としつつ「3番目には入るかもしれない」との見方を示した[330]。『ニューヨーク・タイムズ』のタイラー・ケプナーは「おそらく直近25年で五指に入るだろう」と述べ[331]、『ワシントン・ポスト』のトーマス・ボズウェルは「ここ50年でも屈指のシリーズ」と評した[332]。『サンフランシスコ・クロニクル』のブルース・ジェンキンスは「過去にはもっといい第7戦もあったし、スーパースターが光り輝いたシリーズなんて数えきれないほどあるが、こんなシリーズは初めてだ。感情がむき出しになって激しく揺さぶられた、という点において今回のシリーズは最高峰に近い」と綴った[333]。2012年10月には『スポーティング・ニュース』による歴代最高のシリーズ・トップ10が発表され、そのなかで今シリーズは2001年・1991年・1975年に次ぐ4位とされている[334]。, 特に第6戦については賞賛の意見が寄せられた。『スポーツ・イラストレイテッド』のトム・バードゥッチは「1975年や1986年の第6戦にも匹敵するシリーズ史上最高のスペクタクル」とし[335]、ロイター通信のラリー・ファインは「セントルイスの大逆転劇は1991年や1975年の第6戦をも上回った」と位置づけた[336]。ティム・マッカーバーは、解説者として観てきたシリーズのなかで最も印象深い試合として、1991年の第7戦とともに今回の第6戦を挙げた[337]。ニューヨーク・メッツのR.A.ディッキーは「もし過去に戻れるなら観たい試合は」との質問に対して、ジャッキー・ロビンソンのデビュー戦(1947年4月15日)やケリー・ウッドの1試合20奪三振(1998年5月6日)とともにこの第6戦を挙げ、感想として「あっという間にファンを喜ばせたり落ち込ませたりした、最もファンタスティックな試合のひとつ」と述べた[338]。『デンバー・ポスト』のトロイ・E・レンクは「第6戦の映像は永遠にリプレイされ続けるだろう。この信じられないような試合だけでも、今シリーズは史上最高のシリーズ候補のひとつとなる」とし[339]、『シカゴ・トリビューン』のフィル・ロジャースは「永遠に記憶に残る歴史的な試合」と記した[340]。『トロント・スター』のリチャード・グリフィンはこの試合を「両チームは地面を深く掘り進めていき、このシリーズを歴史的なものに変貌させる未知の何かを発見した」と表現している[341]。この試合については、両チーム合わせて5失策を記録した守乱ぶりなどから批判的な評価もあったが、それに対して『ウォール・ストリート・ジャーナル』のジェイソン・ゲイは「完璧さというのはフィギュアスケーターやチェリストのための概念だ。野球は乱雑さやひどさの上に成り立ってきたのであり、だからこそ1991年の第7戦という素晴らしい試合も、1986年の第6戦を忘れさせるには至らないのだ」と反論した[201]。, 対照的に最終戦については「盛り上がりに欠ける」との声が相次いだ。ムーアが今シリーズを「1975年と1991年よりは下」とした理由が、まさにこの点にある[330]。ボズウェルも最終戦には「1960年・1975年・1991年・2001年と素晴らしい第7戦で締めくくられたシリーズがあっただけに、レンジャーズが四死球で自滅した今回のような結末では、史上最高のシリーズとまでは言えない」と厳しい[332]。『ヒューストン・クロニクル』のリチャード・ジャスティスは今シリーズを「カージナルスは2度の敗退の危機を乗り切ってシリーズ史上最高の試合のひとつに勝利した24時間後、本拠地の47,399人のファンの前で拍子抜けの第7戦を制して目的を完遂した」と総括した[342]。ESPNのジム・ケイプルは、今シリーズやポストシーズン全体については高く評価しながらも「1991年や2001年の第7戦と比べると、今回の第7戦にはがっかりだ。カージナルスのファンは同意しないだろうが」と書いている[343]。その一方で『USAトゥデイ』のポール・ホワイトは、最終戦があまり盛り上がらない展開だったことは認めつつ「カージナルスの奇跡的な第6戦勝利が真に意味を成すには、彼らが最終戦も勝ってシリーズを終わらせなければならなかった」と、内容よりも結果を重視する姿勢をとった[329]。同様に『タイム』のショーン・グレゴリーも「これからは2011年のワールドシリーズといえば第6戦、ということになっていくのだが、カージナルスが勝利でシリーズを締めくくったことも認めてやらなければ」としている[217]。また、ベースボール・プロスペクタスのジェイ・ジャフは「第7戦が前日ほど白熱した試合にならないことは、試合前からほとんどわかっていた。1975年や1986年のシリーズだって第7戦は第7戦でいい試合だったのかもしれないが、それでも第7戦について語るときの声の調子は第6戦のときほど恭しくはならない」と綴った[213]。, 『ハードボール・タイムズ』のクリス・ジャフは、主観的ではなく定量的な評価を行った。彼は歴代のポストシーズン各シリーズについて「1点差試合は3ポイント、1-0の試合ならさらに1ポイント」「サヨナラゲームは10ポイント、サヨナラが本塁打によるものならさらに5ポイント」「7試合制のシリーズが最終戦までもつれれば15ポイント」などというように、試合経過やシリーズの展開が一定の条件を満たすのに応じてポイントを付与することで、面白さの数値化を試みた。その結果、この年の両リーグ優勝決定戦まで全262シリーズの平均が45ポイントのところ、今シリーズは107.7ポイントを獲得した[注 14]。これはワールドシリーズでは史上5位、地区シリーズやリーグ優勝決定戦を含めた全263シリーズ中でも13位の高得点となった[345]。ただ彼自身、1975年の第6戦と今回の第6戦のどちらがよりいい試合だったかを論じた際には、自作の評価法では今回のほうが高いポイントを獲得したにもかかわらず、数字には表れない好プレイや拙いミスの存在を理由に、1975年のほうに軍配を上げている[346]。, ESPNのウェブサイトは閲覧者を対象に、このシリーズの評価を「今までで一番」「有数の好勝負」「それほどでもない」の3つから選ばせるアンケートを実施した。20万を超える投票のうち「有数」(約60%)と「一番」(約25%)が合わせて80%以上を占め、地域別にみるとカージナルスの地元ミズーリ州では「一番」が、レンジャーズの地元テキサス州を含むその他の州やアメリカ合衆国外では「有数」が、それぞれ過半数となった[347]。, 第1戦をブッシュ・スタジアムの客席で観戦する、アメリカ合衆国大統領夫人ミシェル・オバマや同副大統領夫人ジル・バイデンら, 第3戦開始前、レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンのフィールドに広げられたアメリカ合衆国の国旗, 第4戦のセブンス・イニング・ストレッチで『ゴッド・ブレス・アメリカ』を歌うテキサス空軍州兵エリカ・スティーブンス, 最終第7戦でブッシュ・スタジアムに入場できなかったファンのなかには、隣の建物の駐車場に陣取り球場の空気を肌で感じつつ、車のバッテリーを使ってテレビ中継を観る者もいた, 第7戦で地元カージナルスが優勝を決め、ブッシュ・スタジアムに紙吹雪が舞うなかで表彰式の準備が進められる, 表彰式の様子。MLB機構コミッショナーのバド・セリグや球団GMのジョン・モゼリアクらが登壇し、台の上にはコミッショナーズ・トロフィーが置かれている, 優勝記念パレードでは、球団筆頭オーナーのビル・デウィット・ジュニアがコミッショナーズ・トロフィーを携えていた, 2012年1月17日、カージナルスはアメリカ合衆国大統領バラク・オバマの招待を受け、ホワイトハウスを表敬訪問した, 選手
2020 2011 野球 優勝